ハートランドの姓名判断 

姓名判断についての
ちょこっと荒唐無稽なお話♪


ハートランドでも姓名、名前で判断はします。
ただ、たぶん姓名判断一本でされているようなところ、姓名に主に重きを置くところとは、だいぶ見方は違うと思います。
と言うかそもそも、ほとんどまったくこう言う事は言ってないと思います。

が、一応ハートランドの場合は、以下が姓名判断についての基本姿勢です♪

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●姓名判断は相術と言う、要素の一つ。
●姓名判断は統計で、基本的には一つの目安。
●良いか悪いかは、多くは見方次第。
●姓名は必ずしも、本人その物を表してはいない。
●実は名前の方も本人から影響を受ける。

 姓名判断は相術と言う、要素の一つ。

私自身は姓名の影響、それによる一種の運命のような物は、確かにあるとは思います。
場合によっては、本当にほとんど姓名の要素、それだけに、大きく引っ張られていらっしゃるのではないか?と、思える方、ケースもありますから、そういう場合は、相当数、文字通り姓名だけでも判断できるでしょう。

しかし全体のバランスで見るなら、あくまでも「姓名でも影響は起きているはずだ。」と言う程度の場合が、ほとんどであると思います。
姓名判断と言うのは、あくまでも相術の一つですから、判断は相当慎重になっていいはずと思います。

姓名は、あくまでも要素の一つ(しかも半分以上は後天的、人為的につけられた要素)なわけですから、つけられた名前だけで、命を始めとする、他のさまざまな要素を度外視して、断命してしまうとしたら、ちょっと早計ではないかと思います。

人間は自分の明るい分野には、重きを置いてしまいますから、この点はやむを得ない事なのかも知れませんが、主に姓名判断一本で見られている方は、姓名判断の比重を取りすぎている事が多いように思います。

名前で変わりますよ!
名前の影響は大きいですよ!


と、絶対値で言われたらそれはそうでしょう。
「絶対に影響なんか、まったくありませんね!」とは言え無い物です。
それなら子供の名前だろうが、会社の名前だろうが、AでもBでも1でも2でも、何だって良い事になります。

でもそれを言うのなら、あらゆる物で変わって、あらゆる影響を受けているはずなんです。

ファッションアドバイザーの方なら、いかに日頃の服装が、自分と他人に影響を与えているかを考えるでしょうし、カラーコーディネーターなら、色の影響を、メイクアップアーティストなら、メイクの影響を、ジュエリーアドバイザーなら、宝石の効果を、スポーツインストラクターなら日頃の運動を、それぞれ影響はありますよ、大きいですよ、とおっしゃるでしょう。
実際、色でも、服装でも、音楽でも、香りでも、友達でも、方角でも、アクセサリーでも影響は受けるし、与えると思います。

だから
姓名判断など迷信だ!
でも、
姓名判断で運命が決まる!
のような両極端ではなく、普通なら、色、服装、音楽、香り、友達、時間、方位、方角、身に付けるアクセサリー…
それらと同じように、影響を与えている…
と、ハートランドでは考えます。


 姓名判断は統計で、基本的には一つの目安。

占いには
「原理がこうだからこうなるはずだ」
と言う演繹法的な考え方と、
「結果的にこうなっているから、統計上はこうだ」
と言う帰納法的な考えがあると思います。

もちろん、完全にどちらかだけと言うような事はなく、普通は相互に補完しながらつめて行くものだとは思いますが、ハートランドではある程度の理論、原理を見渡した後、現在では実際にクライアントさんの姓名でデーターを取って集計し続けて…と言う、統計上の目安と言うのが基本姿勢です。

特に画数などは、はっきり統計データーを取れる物ですから、そちらとの整合性をはからなかったら、最悪の場合、事実を無視する事になります。
が、(ハートランドにおいては)統計である以上、絶対ではありません。

わかりやすい例を上げるなら
「吉の画数、凶の画数」
と言うのがあります。

著名人やスポーツ選手、会社経営者、一方では、あまりいいお話しでは無いですが、事故や犯罪に巻き込まれた方、起こした方、こういった事を一つの基準に、名前の吉凶と実際の吉凶を、照らし合わせる事は出来ます。
ある種、旧字、新字、読み仮名などの見方を間違えさえしなければ、相当時間と根気の要る作業ではありますが、誰にでも出来ます。

なるほど、ある程度集計していくと、吉画・凶画と言われている物には、それなりの偏りがあるように思えます。
が、逆に言えば絶対では無いのです。

比率で言えば、凶画だからと言って、吉画の人の十分の一しかいないとか言う事はありませんし、スポーツ選手でも、会社経営者でも、政治家でも、成功した人に凶画の人が一人もいないと言う事はありません。
ならばハートランド的には

吉か凶かで判断して、凶だからダメ、上手く行く可能性の高い画数にかえなさい。

と言うよりも、

「では凶画となっているはずの人でも、これだけ成功した、幸せになれた人もいるのなら、その人たちが名前の暗示を差し引いても幸せになれたのは、何が原因で、何を活用出来たからなのだろうか?」
と言う事の方が、より重要だと考えます。

もちろん、今名前で悩んでいる、名前を付けようと思っているところだ。
と言う方なら、あえて凶とされている名前をつける事もないでしょう。

でも、すでに名前があるのなら?
よほどの事でもない限り、
「姓名を判断したら悪かった、変えよう」
でなくとも、
「この名前でも上手くやるためには、何をどうしたら?」
で、充分対処出来ると思います。

統計で確かめる限り、画数の吉凶はあっても、言い換えればそれは相対的な物です。
極論ですが、日本中の人が吉と言われる名前に変えたら、全員吉ばかりになるのか?
全員が頭領運、指導者運に強い姓名になっても、全体の中での指導者の割合は、変わらないでしょう。

どれほど成功した方でも、凶と言われている画数、姓名の人はいるものですし、どれほど吉という画数、姓名の方でも不幸な方、成功できずにいる方はいらっしゃると思います。



 良いか悪いかは、多くは見方次第。

見ての通り、自分の名前を画数に直す、それを当てはめて見る…と言う事は、特別姓名判断に詳しく無い方でも、すぐに出来ます。
特に今はネットでも本でも調べるだけなら、ほとんど誰でも出せるようになりました。

ところが姓名判断の鑑定の伝え方と言うのは、どうもいまだに良いか悪いか、吉か凶かの、紋切口調で言い切ってしまう事が多いように思います。

が、私自身は吉凶自体、そもそもそんなに割り切って、定説通りには言えない物では?と言う考え方です。
一般的な吉凶判断をお伝える場合でも、「なぜそうか?」と言う考え方の部分をセットでお話ししています。

これも一例を上げます。
姓名判断や数秘術では、12や14、22などの偶数のいくつかは分裂、変動、不安定を表す数として凶、奇数のいくつかは、安定と言う理由で吉という言われ方、書かれ方をしている場合があります。

が、変化がある事って、必ずしも悪い事でしょうか?
一方、何かの分野や人生が安定する事って必ず良い事でしょうか?

実際に何人もの方を見させてもらっても、変化変動を上手く活用して、結果につなげている方もいらっしゃいますし、安定が停滞につながって、苦しむ方もいらっしゃいます。
出世運があって社会的に成功した方が、プライベートや恋愛ではその分、時間もエネルギーも取れなくなって…と言うケースはいくらでもあります。

確かに運が悪い事が続けば、心配にもなってきますし、気持ちもちょっとへこんでしまうのは、人間としては当たり前とは思いますが…

が、いつも言っている事ですが、それでも考え方としては、その人にとっては何が良い事になるのか?何は悪い事につながるのか?
視点が決まらなければ、必ずしも良い悪いは言えない。
と言うのがハートランドの基本姿勢です。


 姓名は必ずしも、本人その物を表してはいない。

この辺もまた、あんまりこの事を言う方はいないと思います。
もしかしたら誰もいないのかもしれません。
が、姓名の原点に立ち返れば、私にはこう考えるのが一番自然に思えます。

つまりこう言う事です。

例えばとてもキチンとしたスーツを着た、男性がいたとします。
もしくはとてもセクシーな衣装の、女性がいたとします。
それぞれどういう人でしょうか?
キチンとしたスーツ、セクシーな衣装と言うのは、それぞれその人を類推する手がかりにはなります。
好きでそう言う服装を選んでいるのなら、そう言う部分を持った性格の方でしょう。

キチンとしたスーツが特別なブランドなら、そう言うこだわりも持った方かもしれません。
反対に衣装はセクシーだけど、良く見たらリサイクル店で買った、フリマで買った。
装いにはこだわりがあるけど経済的には、お金よりはやりくりや工夫が好きな方かも知れません。

また、服からもその人が類推できますが、服からその人への影響もあるでしょう。
その人がご自分の事情や好み、いわゆるご自分の意志で服装を選ぶ、「本人→服装」の流れがあるなら、反対にその服装をする事によって、その気になるとでも言うような「服装→本人」の流れだってあると思うからです。
制服効果といいますが、キチンとした職業上の制服で望んでいる時には、役割性格はその職業に傾いている物です。服装がセクシーなら、立ち振る舞いも女性らしさを考えている方かも知れません。
一方でキチンとしたスーツだがどこかだらしない。衣装がセクシーな割には、妙に男性的な行動、言動がするぞ?と言う場合は、そのギャップがまた、その方の情報となったりもします。

姓名と言うのは生まれた瞬間に、不可抗力で決まる物ではありません。
決まる部分は占いでは命術といい、姓名判断は普通は形を通して影響を与える、または影響を読む、相術です。その人そのものではなく、あくまでもその人に影響を与え(与えられてもいる)事象の方を読んでいるわけです。
実は姓名=ご本人そのものではないと考えます。

上で言う「服装」の部分ですね。
だから性格にせよ、怪我や病気にせよ「名前=姓名判断でこうだから、こう“なりますよ、なるはずだ!”」と言うのは、私はかなり疑問なんです。
影響が無いとは言いませんが、この部分はたくさんあるうちの一つですし、統計でわかる部分のデータは、基本的に相関関係であって因果関係ではありません。
(より正確には、常識的な言葉の意味や響きから類推できる影響の因果部分と、結果的な統計上の相関部分が、姓名で判断できる事だと考えます。)

「そう言うケースもある。」、「これに関しては、ある程度そうなる場合が多い」、このくらいならまだまだ納得はいくのですが、みんな(間違いなく姓名判断で)そうなる!となったらある種「役割性格」どころか、「全人格」を服装=姓名に操られているかのような、感覚に聞こえてしまいます。これだと理論的にもおかしいはずですし、ウエイト的にも取りすぎでしょう。

先に私がいて名前が後からついたんですから、名前が従です。
そもそも未来って複合的な要素で決まります。その複合的な要素の一つ一つを、占いでは各占術と言う形で読みながら組み合わせて、結果を類推するわけです。
一番大きいのは当然ご本人の自由意志。普通は次に大きいと思われる命の部分でさえ多くの場合、結果に関しては一対一で読めるわけではありません。

ましてや象徴事象、従属事象としてご本人に影響を与えているであろう、姓名の判断だけでは、とても確たる結果を毎回読む…と言うわけには行かないでしょう。それはご本人の自由意志や、命術を始めとする他の占術を、ないがしろにする発想にもなりかねないからです。

姓名はあくまでも、ご本人と相互作用を持つ従属物、象徴物であって、ご本人そのものでは無いと考えます。


 実は名前の方も本人から影響を受ける。


名前と本人は相互作用。
たぶんこれが最も荒唐無稽なお話だと思います。
これを言う姓名判断家の方ってちょっと聞いた事が無いですから、ひょっとしたら私だけかもしれないですが…

実は姓名が本人に一方的に影響を与えるだけではない。
本人が姓名にも影響を与える。

私がこんな突拍子も無い発想になったのには、いくつかきっかけがあります。
当然ですが作用と言うものは、相互作用です。どっちかがどっちかに完全に一方的なだけの作用と言うものはありません。どんなに割合は低くても、普通ゼロにはなら無いものです。必ず相互に作用して、やり取りになります。
まあ、いくらなんでも星が相手の占星術なんかになってきたら、仮に影響があっても、歩いている人と走っている人で、時間の進み方がどのくらい違うのかって程度の、星→個人は考えても、個人→星は無視していいくらいの物なんでしょうけど…。相術くらいの大きな物になると、相互作用はずっとあるでしょう。

乳幼児心理学では、昔は影響と言うものはお母さんから赤ちゃんへの、一方通行だと思われていました。
ところが実際には赤ちゃんの反応によって、お母さんの気持ちや態度だって変ってきます。そのお母さんがその気持ちや態度で接するのですから、そこでまた赤ちゃんの気持ちだって変ります。
お母さんと赤ちゃんは、お母さんが赤ちゃんへ一方的な影響を与えているのではなく、お互いに影響を与え合っているんです。
例えばメンタルヘルスでなら、他にも自律訓練法などは同じような発想と思います。

これは人に関する相術でも同じです。人相も手相も生涯不変ではありません。
まず先に「こう言う人相、手相だからこうなるよ。」と言うよりは、
「こういう人だから、こう言う人相、手相になってるよ。」と言うのを相学家の方は読んでいくわけでしょう。お医者様が
「こう言う顔色の時はこう言う体調だろうし、こう言う病気の疑いがありますよ?気をつけて。」と言うような感じと、基本的には共通だと思います。
「こう言う相が出ているって事は、こうだったでしょう?」ですよね。そして、その生き方、やり方の路線で行けば、今後はこうなりますよ?と言う予測がたちますから、それを元に、よければそのように、不都合があればそうならないように、お話を進めていくわけだと思います。

さっきの服で例えれば
「スーツを着ている。でもこの後は子供達と遊ぶ事になって、このままでは充分遊べないよ?」と言うような感じだったら…。
もう少し動いたり、汚れたりしてもいいような、カジュアルな服装に着替えるわけでしょう。そこまでにスーツを着ていた時間が長ければ、着替えてもすぐにはハメをはずして相手をしたり、気分の切り替えまでは出来ないかもしれません。
でも、時間とともに、着替えた服装にあった気分にもなっていきます。
表情が柔らかくなる。手の握り方が柔らかくなる。例えばですが、もう少し長いタイムテーブルでの、そういうくせのような物が積もり積もって、パターンになっている部分を読んでいるのが、人相、手相を始めとする、相術だと思うんです。

ところが名前は、意識的に改名しない限り変りません。じゃあ相互作用のはずなのに、何も変っていないの?と言えば、やっぱり変ってはいるはずなんです。ただ、直接見えていないんですよね。
風水で言う“理気”のような物だと思います。
本人が変ればそれによって、変った部分が名前に戻ってくる。それは直接名前が変わると言う形では現れないけれども、名前を呼ぶ時や、他の印象とあいまって、変った響きになっていってると思うんです。

だから決して
「名前がこうだった。それは姓名判断ではこう言う性格、人生、怪我、病気になるらしい。」
で、一方的に名前→結果で、なってしまうばかりではなく、反対に
「名前がこうだった。それは姓名判断ではこう言う性格、人生、怪我、病気になるらしい。が、私はそうはなりたくないので、そうじゃない人生を選んで進む事にした。」場合、歩み続けていけば、今度は
「名前の方がその人柄に、あった名前になってゆく。」事もありうると思うんです。

同じ名前でも、立派な方なら立派な響きに聞こえ、庶民的な方なら庶民的な響きに映る、とでも言うところです。これは特に、より一般的な名前の方ではあると思います。
まったく同じ同姓同名でも、まるで人生が違う方はいくらもいらっしゃいます。

例えば名前の影響では「赤」の路線に近づくはずだった。とします。
もちろん、名前で全てが決まるわけでは無いですから、生年月日そのほかや、なによりご本人の性格や進みたい路線が違えば、違った方向、人生にはなるでしょう。

「赤」の路線を差し引いて有り余るほど、他の影響やご本人の意思が「青」の路線よりで「青」の人生になっていったら…?
その時には姓名の響きの方が「青」の路線にあった物に、なっていくのだと思います。

そう言う意味でも、やはり姓名判断も結果的な、当たり外れではないと思います。
純粋な(?)姓名判断家の方にしてみたら、また違った考えがあるのでしょうが、私自身は

名前はご本人そのものではなく、影響しあう象徴物、従属物。

影響は必ずしも一方通行ではなく、多少は相互に影響しあうはずの物。

同じ名前、姓名でも(生年月日などとはまた違った意味で)違う人はたくさんいる。


加えて

名前の漢字や読み方自体も、時代とともに変ってゆく。

こんな風に考えたら、カラーセラピーやアートセラピーのように、活かす要素として考慮する…そんな場合がほとんどで良いと思います。

名前の吉凶に必要以上に、振り回され過ぎる事はありません。





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