フリートークっぽい物 01
おおむね大丈夫♪ (^▽^

悩み・不安・困った時に、
どう考えて、どう安心したら良いか?

おおむね何とか、なれるんです♪

もちろん断言や、結果の保障は出来ませんが、
占い・カウンセリング・心理学…
こう言う物だって、そのためにあります。
(と…私は思うぞっ)

ただですね、
「じゃあ具体的に、どう考えて、
 どうすれば良いのかな?」


ね? そう言う事を、体系的に教えてもらったり、
具体的に聞いた事って、あんまり覚えが無いですよね?

心と体(見えない物と、見える物)は、等価であるはずなのに、
体(見える物)なら、ごく当たり前に考える、例えば
「野球が上手くない→じゃあ、こう言う風に練習しよう!」
とか、
「風邪に注意して→栄養を取って暖かくして…」
みたいな、具体的な方法論や、考え方と言う発想が、
心の事や不安、悩みとなると、急に無くなりがちです。

でも私なら、それはおかしいと思うんですよ。
それは
「野球が上手くなりたい」と言ってる子供に、
「それでは、もっともっと頑張りなさい!」
とだけ、言ってるような物です。

「先生、で、どう頑張ったら、良いのですか?」
「バカモノ、甘ったれるな!
 そんなのは全部、自分の頭で考えるんだ!」

って、普通ここまでの会話は、しないでしょう?

これじゃ先生やコーチと言う、指導側の立場の人の役割には、
技術論は、何も無い事になります。

最低限〜ある程度の、考え方や方法論、
練習の仕方、経験過程などは、
心についてだって、あるし、あって良いと思うんですよ。
それらを一切無視したまま、ただ心意気だけで、

「頑張れ頑張れ、もっと頑張れ!
 悩むのは良くない、不安にはなるな!
 でも具体的な事は、全部自分で考えろ!」
って、
これで誰もが、悩みが無くなるなら、
方法論も、心理学もいらないし、
叱咤激励する、オッカナイ人さえいれば、
悩みはみんな、無くなってるでしょう。

「無茶言うなよっっっ!」
って言うか、むしろ傲慢な考え方だと思うんですよ(^-^;;
精神論は大切ですが、精神論が全てでは無いでしょう。

具体的にはどう考えて、どうしていったら良いのか?
そこから先が、心理学やカウンセリング、
メンタルヘルスであり、占い…、
この場合は、心理占星術のような、
心に根ざした占いや、占術の先にある、
占いの考え方のような、部分だと思うんですよーっ。


「頑張って下さい。」「悩まないで下さい。」
こーゆーのは“心構え”であり、
一方では“結果(そのもの)”です。

会社で
「売り上げを上げてくれ。」
野球で
「逆転してくれ。」
お母さんが
「仲良くしなさい。成績上げなさい。」
と言ってるのと同じで、多くの人が知りたいのは、
なった後・出た後の、理想の結果ではなく、
その
「結果を出すための、具体的な過程・方法」
のはずなんです。

そのための手段、方法、ジャンルが、
色々な形で、それなりにあるのですから、
プロの方を頼るでも、ご自分で調べるでも、
その方なりの、取り入れ方で、
遠慮なく活用して、欲しいんです。

心の事以外なら、方法を聞いたり知ったり、考えたり、
プロに助力を求める事を、当然の感覚としているはずです。

心や見えない物の時だけ、差別するのはおかしいはずなのに、
なぜか問題が、心になった途端、
方法は無い物、個人の思いつきや、努力で解決する物と、
思い込まれている方が、多いように感じます。


無論、多少の、怪我や病気なら、
中には、医師や病院に行かずに、
元気になられちゃう方も、いるように、
悩みや不安、心のつまづきを、
自分なりのやり方、考え方で、
解決出来る時・人も、いるでしょう。

個人の判断や気合で、上手く行く事もあるし、
カウンセリングのような物が、必ず結果を出せるとも限りません。
その意味では、確かに“プロ”と言えども、
身体のプロの、医師のような職種と比較すれば、
不確定要素は、多いかも知れません。

それでも、一個人の方が、まったくのゼロから、
思いつきやイキオイで、アレコレ考えられるくらいなら…
心のついての、専門ジャンル・専門家・方法論がある。

知る・知らない、使う・使わないは、個人の自由でも、
いざとなったら、活用したくなったらある。
そんな風に、心に留めて置かれる分には、
損は無いと、思うんです。

私ならそれを聞いたり、知ったり、求めたり、
助けを借りて、解決していく事は、
別に甘えでも、何でも無いと思うんですよ。