儀式
厳かな儀式に望みます。賞賛されるべきは報われ、罰せられるべきは裁かれていきます。
“何か”に望む、節目の時の暗示です。
ただそれが、乗り越えるべき障害、困難となるのか、報われるべき努力となるのかは、
その人と状況次第…と言う象意が儀式です。
それは小さな事かも知れませんし、大きな事かも知れませんし、
他の人に対してかも知れませんし、自分自身に対してかも知れません。
いずれにしても、ここで一度労苦は報われ、悪習は裁かれる、
ただそれに、のぞまなければならない、のぞむべき時の暗示です。
厳かな儀式ではありますが、誠実な態度で臨めば、決して怖い物ではありません。
小さな障害や、妨害などがある、もしくはあったかもしれませんが、
もしそうならなんとなくごまかしたり、ただ我慢し続けるよりも、
決然とした態度で公明にするべき時、と言う暗示ですし、
そうする事で本来除けるはずの障害なら、取り除ける時と解釈できます。
何事も無ければそれに越した事はありませんが、何かあるのならその事に対して、
根気よく誠実に対応するべき時…が、儀式の暗示です。
それによってここまでの障害と、現状を打破して次へ進めるという意味にもなります。
儀式ですから、ここまでに正しい行いをして来た人に取っては、
怖い事でも悪い事でも何でもありませんが、そう毎日ある事ではありません。
その意味では何かの、ちょっとした節目、潮時の暗示とも取れます。
男女間のトラブルや、公の争いなどの意味もありますが、
もしそうなら今回は、優柔不断な態度や日和見、中途半端な同情心、
先延ばし、お人よしはかえってマイナスになりかねません。
プラスに取れば、何かはっきりさせたかった事がある場合は、
努力と積極的な行動で、前進のチャンスともいえます。